浅草の「仲見世商店街」が存亡の危機と某サイトで知った
何でも、浅草寺が家賃を16倍 要求しているとの事
浅草といえば、自分の「人生の師」である「池波正太郎」の生まれ育った場所であるのは、ファンなら周知の事であろう。
池波正太郎の「エッセイ」は勿論、「鬼平犯科帳」「仕掛け人.藤枝梅安」等にも多々、登場する場所でもある
そんな「浅草」がピンチであるのだ
🔷浅草「仲見世商店街」の家賃が来年の1月から、何と16倍になるという
仲見世通りの土地は、浅草寺の所有であり上物は東京都のものだったらしい。
なので、いままでは「仲見世」の人達は東京都に家賃を払っていた。
ところが、今年の7月に浅草寺が上物を、東京都から買い取った事で浅草寺側が、いままで安かった家賃を周辺並みにすると突然言い出した
ちなみに、仲見世通りにある89店舗の家賃の平均は月2万3000円
他に比べたら、破格の値段だ。
だが、いきなり16倍の家賃が払える訳がない
月2万3000円だったのが、突然16倍の「37万」になるのだ
ほとんどの店が払えないという
浅草寺側にも理由がある
2011年に東京都から「仲見世通りは収益事業を行っているのだから固定資産税を払え」と言われたのだ。
それにより、浅草寺側は弁護士と相談し「同時に家賃も見直そうと相場を調べ今年の9月に組合に伝えた」との事である。
某サイトでは、もし事態が丸く収まらない場合には、スタバのような大資本が並ぶ事態にもなりかねない、、、、、ような事が書いてある
浅草「仲見世通り」は、日本で一番古い商店街の一つであるそうだ。
徳川家康が、江戸幕府を開いてから、江戸の人口が増え浅草寺への参拝客も一層に賑わった
それに伴い、浅草寺境内の掃除の役を課せられた人達に対して与えられた特権が、境内や参道上に出店できるものだった。
これが、現在の「仲見世」の始まりと言われている
江戸時代には、伝法院から仁王門寄りの店を、役店(やくだな)といい20件の水茶屋が並び、雷門寄りは平店(ひらみせ)と呼び、玩具や菓子、みやげ等を売っており、次第に店も増え日本でも一番形の整った門前町になったそうだ。
このような歴史ある名所を、無くす訳にはいかない
ここは、浅草を愛する著名人達が名乗りをあげ守っていかなくてはいけない、、、、、と自分は思う
外国人観光客が増え、金のにおいを嗅ぎ付けた東京都と、それにあやかろうとする輩が絵を描くように見える
古き善きを、大事にする心はいまの日本人には薄れているようだ。
こんな事になり、さぞ池波先生も嘆いて呆れておられるだろう。
(上に書いた事は、あくまでも自分の考えです)